Terry Fitzgerald (テリー・フィッツジェラルド)

Terry Fitzgerald  (テリー・フィッツジェラルド)

Terry Fitzgerald  (テリー・フィッツジェラルド)

 テリー・フィッツジェラルドはオーストラリアニューサウスウェールズ州シドニーのナラビーン出身の縮れ毛が特徴的なサーファー兼実業家です。彼は1975年のオーストラリアナショナルタイトルの優勝者であり、Hot Buttered Surfboards(ホットバタードサーフボード)の創設者でもある、サーファー界のレジェンドです。1950年にオーストラリア海軍のダイバーの息子としてシドニーに生まれ、ヘレンズバラ、マルブラ、コラロイなどの郊外で育ちました。10歳の時に骨隨炎、変形性骨疾患にかかり、左足の膝から下を切断しなければならいところでしたが、幸いにも骨移植と手術によって温存することができました。

テリー・フィッツジェラルド

彼は、1964年に14歳でサーフィンを始めました。6年後の1970年には、オーストラリアのビクトリアで開催された世界サーフィン選手権の準決勝に進出しました。彼はこの選手権のスターサーファーでした。

サーフィンジャーナリストのドリュー・キャンピオンは、「彼はサーフボードに電気ショックを与えた」、「彼は従来のサーフィンの形式、伝統、手法を全て無視し、当時まだ珍しかったショートボードの可能性にかけた」と記述しています。

身長180cm、体重75kgのフィッツジェラルドは、がに股でボードに乗り、肩から腕を左右対称に伸ばし、手はカップの形を作り、腰と骨盤、肩、膝、頭を使ってターンしながら波と完全に同化していきます。

彼は”Sultan of Speed(スピードの皇帝)”の愛称で呼ばれ、彼のボードは魔法のように波の最も速いポイントを見つけるのです。実際のところ彼が世界最高レベルのサーファーたちより速かったかどうかは定かではありません。

とはいえ、彼のサーフィンのスタイルはスピードの象徴であり、彼ほど見る者を惹きつけるサーファーはそうそういませんでした。とりわけ、ジェフリーズベイやサンセットビーチでサーフィンする彼を皆一目見たがりました。

フィッツジェラルドは1971年に初めてハワイを訪れ、たちまち現地のサーフィン界でセンセーションを巻き起こしました。

ボードシェイパーの指導者であるディック・ブリューワーは彼をカウアイ島の自宅に招き、個人的にシェイピングの指導をおこないました。その年の暮れに、フィッツジェラルドはシドニーのブルックベールに自身のサーフボード工場と販売店を開設しました。1969年に発売されたアイザック・ヘイズのアルバムのタイトル「Hot Buttered Soul(ホットバタード・ソウル)」にちなみ、「Hot Buttered Surfboard(ホットバタード・サーフボード)」という社名をつけました。

彼のボードは幅が狭くスピードがあり、試行錯誤を重ねて作られたものであり、明るい渦巻きカラーが特徴です。

彼は自身のビジネスのためのマーケティング、広告展開を全て自分でおこなっていました。一度雑誌広告の撮影をした時には、ホットバタードブランドのカラフルなボード一式を芝生一面に並べ、青いワークシャツのボタンを外し、アビエーターサングラスをかけて右手にシガーを持ち、中央に蓮華座に座ってみせました。

 

ビジネスを運営する中で、彼は国内外のサーフィンコンテストにも目を向けるようになりました。

1971年にはオーストラリアタイトル、デューク・カハナモククラシック、ベルズビーチコンテストの決勝に進出しました。

そして1972年には同ベルズビーチコンテストで見事優勝しました。

1974年にはデューク・カハナモククラシック、ベルズビーチコンテストに加え、生まれ故郷のナラビーンで開催されたコカコーラ・サーファボートの決勝に進出しました。

1975年にはオーストラリア国内の全国優勝を果たし、コカコーラ・サーファボートの3位に入賞、ハワイのベルジーランドで開催されたライトニングボルト・プロコンテストでも優勝し、賞金5000ドルを獲得しました。

1977年のワールドツアーファイナルでは9位に入賞しました。

1980年にはインドネシアのオムバリ・プロで優勝する一方で、ホットバタードは80年代の初めから人気の衣料品やアクセサリーを商品ラインアップに追加し着実にビジネスを成長させ、2001年までにニュージーランド、ブラジル、バリ島、イタリアに販売店舗を構えました。また、同同社は1980年から2000年代半ばまで10代のサーファー向けの国際的なショーケースであるプロジュニアコンテストに協賛し、フィッツジェラルド自身が大会ディレクターを務めました。 

当時最も画面映えのするサーファーの一人だったフィッツジェラルドは、Tracks 1970)、Morning of the Earth (1972)、Five Summer Stories (1972)、A Winter's Tale (1974)、Fantasea (1978)、Adventures in Paradise (1982)を含む実に20本以上のサーフィン映画に出演しました。

1975年には、オーストラリアプロサーフィン協会を共同設立し、初の国内プロツアーを取りまとめました。

そして、1995年にはついにオーストラリアのサーフィン界の殿堂入りを果たしました。

2008年には、フィッツジェラルドの半生と彼のサーフボードビジネスに関する1時間のドキュメンタリー、「Hot Buttered Soul(ホットバタード・ソウル)」が公開されました。

彼の息子であるキー・フィッツジェラルドとジョエル・フィッツジェラルドもともにオーストラリアの有名なサーファーです。

サーファー界のレジェンドである父テリー・フィッツジェラルドに続いてシェイパーの道に入ったジョエルは、今ではオーストラリアのベスト・シェイパーの1人とされています。ジョエル・フィッツジェラルドと彼のサーフボードについて、詳しくはこちら

 

 

 

エンサイクロピーディア・オブ・サーフィング から翻訳